有名な海外のパティシエ
海外の有名なパティシエやショコラティエをご紹介します
前回は当サイトの記事「有名な日本人パティシエ」で、パティシエを志すなら知っておいたほうがいい日本人の有名なパティシエをピックアップしました。
今回は、世界に目を向けてみましょう。
パティシエになる人の中では、海外進出を目指して留学をしたいと考えている人も多いことでしょう。 それ以前に知識として、日本だけでなく海外の有名なパティシエも知っているに越したことはありません。
世界では数多くの有名なパティスリーがあり、その歴史を作り上げたプロフェッショナルが存在します。
その人たちが、どのような道を歩んで今の地位を築いたのか、3名ほどご紹介しますので、個人のプロフィールを見て見ましょう。
◆ピエール・エルメ
21世紀のパティスリー界を先導する第一人者。
芸術の頂点を極めたパティシエ、ピエール・エルメ。パティスリー界に新たなセンスと近代性をもたらし、ヴォーグ誌から“パティスリー界のピカソ”と賞賛されています。
日本でも有名で、「パティシエといえば」といったときに真っ先に名前が出てくるような人気が高い著名なパティシエの一人です。
4代続くアルザスのパティシエの家系に生まれたエルメは、14歳のときガストン・ルノートルの元で修業を始め、24歳でフランスの高級食料品店であるフォションのシェフパティシエに抜擢。35歳の時には日本でも人気の高いラデュレの改革に携わります。
その中で、エルメ氏は次々に意外性に満ちた、美しく斬新な菓子を生んでいくのです。
例えば、イスパハン。今では定番となった「ローズ、ライチ、フランボワーズの組み合わせ」など、誰が思いついたでしょう。まるで芸術品のような美しさとともに、一度口にすれば誰もが魅了されます。
1998年、自身のブランド「ピエール・エルメ・パリ」として、東京赤坂のホテルニューオータニ内に初出店し、2001年にはパリのボナパルト通りにもブティックをオープン。2007年、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受賞し、現在は、国際的なプロ菓子職人協会「ルレ・デセール」の副会長としても活躍しています。
そして2016年、《世界のベストレストラン 50アカデミー》より「世界の最優秀パティシエ賞」を受賞。
自国であるフランスでもその人気は不動のもので、舌の肥えた並ぶのが嫌いなパリっ子も、エルメ氏のお店では行列をつくることがしばしばあります。でもその行列も全く苦にはならないそうです。見た目も美しく華やかな菓子たちがショーケースに並び、待ち時間さえもたのしませてくれるのでしょう。
フランスでは比較的身近な存在であった「菓子」の中から、「高級菓子」というポジショニングを打ち出したエルメ。
新作菓子は、まるでパリコレのように春夏&秋冬のコレクションスタイルで発表します。
さらには、マカロンのオーダーメイド&オートクチュールシステム、伝統菓子の再構築に、フランス郷土菓子の商品としての展開など、パティスリー界の革新者として様々な挑戦を成し遂げてきました。
日本でも今後も、エルメの人気は衰えることはないでしょう。
◆ジャニス・ウォン
アジアで最高ランキングを獲得しているシンガポール国立大学で経済学を学んだ後、世界的に名門な料理菓子専門学校「ル・コルドン・ブルー」のパリ校で菓子ディプロムを取得したジャニス・ウォン。
シンガポールで2007年にオープンした新感覚デザートバー「2am: dessertbar」が高い評価を受け、2013年、2014年連続で「Asia’s 50 Best Restaurant(アジアベストレレストラン50)」よりアジア最優秀パティシエに選出されました。”Edible Art(食べられるアート)”をひとつのテーマに活躍する彼女の、華やかで斬新なアシェットデセール(皿盛りのデザート)の日本初上陸は注目を集めています。
自身が生み出すスイーツを「食べられるアート(edible art)」と表現する通り、ジャニス氏が生み出すアシェットデセール(皿盛りデザート)やショコラはどれも、デザインも色使いも芸術的であり、人々の関心を引きます。
実はそんなジャニス・ウォンは幼少期の一時期を日本で過ごしています。
日本において、不完全を受け止め、そこに美を見出していく文化を学んだウォンの作品には、日本人にも刺さる美しさがあります。
「日本語は忘れたが、日本の味は覚えている」と語っており、こういった原体験が、和食材の使い方を巧みにしているなのではないでしょうか。
世界で活躍しているパティシエが日本でお店を開くこともあるので、海外で修行してUターンで店を持つという夢も実現不可能ではありませんよね。
◆ジャン=ポール・エヴァン
「チョコレート業界の法王」とまで呼ばれるトップクラスのパティシエ「ジャン=ポール・エヴァン」。かのジュエル・ロブションに師事した事をきっかけに、パティシエとして、ショコラティエとしてさらに磨きをかけ、世界屈指の実力と評されるまでになりました。日本で高級チョコブームを巻き起こしたのも彼だといわれています。
ジャンポールエヴァンの哲学は、「チョコレートは人に幸福を与える」。
ジャン=ポール・エヴァンがパティシエとしてキャリアをスタートしたのは、1975年のホテル インターコンチネンタルです。
センスあふれる審美眼を持ち、一流のパティシエでもあるエヴァンは、天性の研ぎ澄まされた味覚とゆるぎない感性に恵まれました。最高の食材、最高のワイン、最高のシガーなど本能的に察知して選んでいますが、彼の天職でもあるショコラの素材についても同様に、最高の素材を選び抜いています。1986年にフランスでMOF(フランス国家最優秀職人章)を受章しました。
今や世界中に名を馳せるジャン=ポール・エヴァンですが、もともとはショコラティエになるつもりは全くなかったのだそうです。フランスで生まれ、少年時代はパティシエとして働くことを夢見ていた彼は、製菓学校を卒業するとその才能をどんどんと開花させていきました。
みなさんも、ショコラティエやブーランジェ(パン職人)など、他の道も検討しながらパティシエの勉強をしてみると意外な才能が見つかるかもしれませんね。